細海魚『ANOTHER DAY』
“細海魚の音楽は静物画である”――と、どこかに書いたかも知れない。
2022年、いつものように何の前触れもなく目の前にぽんと置かれた新作『ANOTHER DAY』を聴き、前言の言い換えをしなければならないと感じた。
“細海魚の音楽は静物である”――と。
2013年にソロ名義としては初めてのリリースとなった『とこしえ』からここへ至るまでの過程を遠く近く眺めてきたリスナーなら、いよいよここへ来て彼の音楽が、いずれ辿り着くであろう山小屋への到着を告げていることを感覚できるはずだ。自身の来た道を振り返り、すでに雲が自分の足もとよりも下にあることを確認しただろうか。このアルバムをリュックから取り出し、小屋の中の棚にそっと立て架けた時、それがもはやひとつの林檎や花瓶と何も変わらない“静物”となっていることに彼は気づいているのだろうか……。おそらく彼は小屋の前の岩に腰掛けて「何言ってんすか」と言ってにやりと笑うだろう。筆者は、“笑う雲上人”などこれまで見たことがないし、そもそも雲上人はそういう口のきき方をしない。けれど彼はそこで笑っている。とても静かに。まるで林檎みたいに。細海魚とはそんな音楽家なのである。
キーボード・プレイヤーとして数々のセッションでの演奏が知られているが、今作の絵筆として彼が選んだのはギターだ。ギター・アルバムであると言って差し支えない。しかしここには、ギター弾きに特有の自己顕示欲といったものは微塵も感じられない。むしろ閉店後のギター・ショップ、店の奥の小さなデスクライトだけを灯し、ご近所への配慮も考えながらあくまで独り言のように爪弾かれる、そんなギター・アルバムだ。
思えば昨2021年にリリースされた2枚のライヴ・アルバムは、これまでの細海魚の言わばベスト・アルバム的な要素もそなえていた。同時にそれは、彼がそこでひとつの荷を下ろしたと解釈してもよいだろう。転機とか分水嶺と言った境界線を引くわけではない。靴紐を結び直しながらふと顔を上げた空にぼんやりと霞む太陽が見え「あゝ」とつぶやく。あらゆる句読点から解放された音楽家のそんな夜明けがそこにはあったのかも知れない。
半ばまどろむような心地で聴いているとアルバムの後半、今年の7月にアナログ・シングルとして先行リリースされたばかりの「LEMONADE」が流れてくる。込み上げて来るこの懐かしさの感覚は、大好きな画家の慣れ親しんだモチーフに再び触れるよろこびにも似ている。
新たな夜明けを迎えた音楽家の奏でる本作は、あなたのために差し出された温かな孤独である。
外間隆史 [焚火社/未明編集室]
DN8
¥2,500 税込
RELEASE DATE : 2022/11/18
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