午前4時の歩き方 ――細海魚『4am』を聴く。
細海魚の、ちょっと驚くような新作『4am』が届いた。
僕たちは温かなアンビエント・ミュージックというあたらしい音楽と出会うことになる。
ソロ名義での活動を開始した2013年『とこしえ』発表からの10周年を記念した前作『ECHO』が、これまでアナログ盤やライブ会場限定販売のカセットテープのみでしか聴けなかった音源などをコンパイルしたものだったので、オリジナル・アルバムとしては2022年発表の『ANOTHER DAY』以来2年という時間の経過がある。疫禍が明け、人々がようやく歩き出そうというときに世界はそれを躊躇わせる方向へと回りはじめた。そんな時期に『10th Anniversary Tour』をつうじ全国を巡る旅を経て細海魚が録音し続けた音源が今作『4am』である。
実生活だけでなく、音楽の上でも言葉少なに奏でてきた細海の、ただでさえシンプルなメロディーが本作ではひときわ抑制された作品となっているのが特徴的だ。
レコードのちりちり言うノイズに始まる本作を実際にアナログ盤で聴けたらどんなにいいか……。そんなことを思わせる「2nd magnitude star」という曲での幕開け。うっかりしているといつの間にか終わってしまうが、よくよく耳を澄まして聴けばそこに潜む音の仕込みは何年もかけて熟成された味噌のように滋味深い奥行きがある。
曲名のもつ響きがじつにいい「yoru bus hikari」が2曲目に位置し、まさしくジャケットの風景がこの曲の音像と相まって「夜」「バス」「光」といった距離や速度を想起させるワードによってこのアルバムを少しだけ前へと進めてくれる。
本作中で最もメロディーを感じさせるのが3曲目の「room」だがそこに起承転結はなく、ひとつの想念がループしているという印象。
4曲目「notkew」という何語なのか判らないスペルの語は、アイヌ語で「野付」のことだそうだ。リスナーの聴覚への配慮と音楽家のやさしさが伝わるテープ・エコーによる心地好いミニマルである。つづく「nomad」の曲中後半から断続的に聴こえてくる波音がさらにそのつぎの「jiri」へと引き継がれ、野付半島から海を隔てた国後島への眺望を思わせる。ちなみに「jiri」とは<濃い霧雨>を表現する道東の方言。そんな景色に包まれていると気づかぬうちにラストの曲「4am」へ滲んでゆく。
今や細海作品と一体化しつつある中西まゆみによるジャケット写真は、タイトルが示す時刻近辺に撮影されたであろう郊外の景色である。この国のどこにでもあるこうした風景は総じて「ここには何もない」ことを表明している。ここで編まれた7つの楽曲は細海魚が午前4時を彷徨いながら「ここには何もない」風景ばかりを好んで収集し、それを音に置き換えて貼り付けたスクラップブックなのだと解釈することも可能だ。
深夜バスを乗り継ぎ、音楽家は未明の浄水場に辿り着く。そこで釣り糸を垂れるために彼は歩き続けた。闇の中で黒々と透き通る真水には何も棲んでいない。釣れるものがあるとすればそれは彼自身の心の中に棲む寡黙だけれど確かな体温をもつ透明な魚だ。
外間隆史 [未明編集室]
DN10
¥3,000 税込
RELEASE DATE : 2024/4/30